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那覇地方裁判所 昭和51年(ワ)29号 判決 1977年3月30日

(第一四三号事件原告第一八七号事件被告)

大城太郎

右訴訟代理人

平田清司

右訴訟復代理人(第一四三号事件につき)

平田孝晴

(第一四三号事件被告、第二九号、第一八七号事件各原告)

安里悌次

右訴訟代理人

本永寛昭

(右訴訟復代理人弁護士第一四三号事件につき)

深沢栄一郎

右同

中野清光

(第二九号、第一八七号事件各被告)

外間嶺子

右訴訟代理人

平田孝晴

主文

一  第一四三号事件について

原告大城太郎所有の別紙物件目録(一)記載の土地と被告安里悌次所有の同目録(二)記載の土地との境界が、別紙図面のツ、(ム)の両点を直線で結ぶ線であることを確定する。

二  第二九号事件について

原告安里悌次所有の別紙物件目録(二)記載の土地と被告外間嶺子所有の同目録(三)記載の土地との境界が、別紙図面の(ム)、の両点を直線で結ぶ線であることを確定する。

三  第一八七号事件について

(一)  原告安里悌次と被告大城太郎との間で、同原告が別紙図面のイ、レ、ソ、ツ、(ム)、ウ、イの各点を順次結んだ直線内322.52平方メートルの土地について所有権を有することを確認する。

(二)  原告安里悌次と被告外間嶺子との間で、同原告が別紙図面の(ム)、ウ、、、(ム)の各点を順次結んだ直線内の62.58平方メートルの土地について所有権を有することを確認する。

四  以上全事件の訴訟費用は、第一四三号事件原告(第一八七号事件被告)大城太郎および第二九号事件・第一八七号事件各被告外間嶺子両名の負担とする。

事実《省略》

理由

第一(第一四三号事件について)

一請求原因(一)、(二)記載の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、原告大城所有の本件(一)の土地と被告安里所有の本件(二)の土地との境界がどこであるかについて判断する。

<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、<る。>

(一)  本件(一)、(二)、(三)の土地は、いずれももと那覇市字寄宮寄増原七四番畑九六〇坪の一筆の土地(以下、旧七四番の土地という。また、以下の地積表示は特にことわりのない限り、公簿上の表示である。)の一部で、訴外新垣孝仁が所有していたこと、そして、被告安里が本件(二)の土地を、原告大城が本件(一)の土地を、また、第二九、第一八七号事被告外間嶺子が本件(三)の土地を所有するに至つた経緯は次のとおりである。すなわち、まず、右新垣は、一九四九年一二月頃被告安里に右旧七四番の土地のうち本件(二)の土地部分を、同被告所有の那覇市字上間底田原七四三番畑一一六坪、同市同字底田原七四四番畑一〇七坪、同市字識名西門原七〇三番畑一八二坪、同市同字西門原七〇三番の一畑一二坪および同市同字西門原八六〇番畑一二六坪の五筆の土地合計五四三坪(以下被告安里所有の識名の土地という)と交換し、本件(二)の土地を分筆して所有権申告をし、次に、分筆後の旧七四番地の土地を一九五一年一一月一二日、現在の七四番(四〇坪)と同番の二(五一六坪)とに分筆、更に、一九五九年一一月七日右七四番の二(本件(一)の土地)と同番の三(381.61坪)とに分筆したうえ、一九六〇年一〇月二八日原告大城に対し本件(一)の土地の持分134.39分の64.11を、また、同年一二月一五日にその余の持分をいずれも売却したこと、また、新垣は一九五九年一一月七日、右七四番の三の土地を現在の同番の三(二五坪)、同番の四(47.88坪)、同番の五(八五坪)、同番の六(75.96坪)、同番の七(4.91坪)、同番の八(本件(三)の土地)、同番の九(四〇坪)に分筆し、一九五九年一〇月二七日右被告外間嶺子の夫外間完太郎に対し本件(三)の土地を売却し、右外間完太郎は一九六〇年六月一〇日右土地を被告外間嶺子に贈与したものであること、

(二)  ところで、新垣孝仁が本件(二)の土地を被告安里の識名の土地と交換した経緯は、当時自己の居宅のあつた那覇市識名の近くに田畑を取得したいと思つていた折に、被告安里の父安里武雄が沖縄群島政府に勤めて通勤に便利な土地に住居を移転したいと望んでいたところから、下田享徳の仲介斡旋によつてなされたものであるが、その際、新垣孝仁、安里武雄および下田亨徳の三名が旧七四番の土地の現地に臨み、当時、同土地の東側に居住していた訴外安里松光(同人は新垣孝仁の娘婿)の屋敷の仏桑華の生垣がほぼ別紙図面のツ、(ム)、の各点を順次結んだ直線上にあつたのを目安とし、その南側に存する別紙図面の道路(なお、当時の道路の幅員は、現在の約五メートルよりかなり狭く、約1.5、6メートルであつた)との接点(別紙図面の点)を基点とし、同点よりほぼ北方の直角に引いた線である別紙図面のツ、(ム)、の各点を順次直線で結んだ線より旧七四番の土地を分譲し、それより以西の部分を被告に移転することにしたこと、

(三)  そこで、新垣孝仁は、被告に交換した旧七四番の土地の一部を、同土地から那覇市字寄宮寄増原七四番の一(すなわち、本件(二)の土地)として当時沖縄における土地所有権認定の業務(一九四六年二月二八日による軍政府指令第一二一号に基づく)を掌つていた所轄沖縄県島尻郡真和志村字寄宮の土地所有権委員会に対し、被告のため(被告を所有者として)、土地所有権申告をなし、その後その申告どおりの土地所有権の認定がなされた結果、旧七四番の土地は、本件(二)の土地とその残余の部分(地積は五五六坪で、地番は従前と同じ七四番以下、分筆後の旧七四番の土地という。)とに分筆登記されるに至つたこと、

ところが、本件(二)の土地の地積は何故か四〇四坪として所有権申告がなされ、そのとおり認定された結果、その旨の登記がなされたが、しかしながら、新垣孝仁の前記土地所有権申告に基づいて、所轄土地所有権委員会が、本件(二)の土地を、隣接地主立会いのうえ、現地測量して作成し、右所有権申告書に添附、一体化された測量図(甲第五号証の二の図面)上、右七四番の一と分筆後の旧七四番の土地との境界は前記交換契約にしたがい、別紙図面のツ、(ム)、の各点を順次直線で結んだ線が境界として明示されており、右図面は、当時の測量技術の水準が、現在に比し、相当粗略なものであることは否めぬにしても(なお同図は不動産登記法一七条所定の地図―いわゆる公図―ではなく、旧土地台帳法施行細則二条によるいわゆる旧土地台帳附属地図たる性格を有するものである)、測量対象である本件(二)の土地の形状や隣接土地との配列関係等の概略は十分示しており、これら土地の形状などからみると、本件(二)の土地と本件(一)の土地との境界が、被告安里の主張線に副うものであることを推測できること、

(四)  旧七四番の土地は従前、いわゆる割当土地として前記安里松光らが耕作使用していたものであるが、被告安里は本件(二)の土地を新垣孝仁との交換により取得した後、一九五一年、耕作者から本件(二)の土地の返還を受け、訴外宮城松造に対し、同年五月ころ、建物所有を目的で(別紙図面のイ、レの両点を結ぶ直線より以東の位置で)ほぼ同図面の(ム)、ツソの各点を結ぶ直線上に跨る位置、区域に約八〇坪の土地を賃貸したこと、右宮城がその頃同土地上に建物建築の工事に着工したところ、新垣孝仁より同工事が本件(二)の土地の境界を越境している旨の異議が申し出られ、その結果、右宮城は敷地の一部(東側三五坪)を改めて右新垣孝仁から賃借したうえ同工事を続行、竣工したことから、少くとも新垣孝仁は右土地の大部分が被告安里の本件(二)の土地に属することに異存のなかつたこと、

(五)  確かに、本件における各係争地域の実測面積を求めてみるに、別紙図面のイ、ロ、ハ、ニ、ホ、、ト、チ、リヌ、ル、ヲ、ワ、カ、ヨ、x、タ、x'、レ、イの各点を順次結んだ直線内の部分の実測面積は456.89坪、本件係争中(甲)土地部分の実測面積は97.73坪(322.52平方メートル)、本件係争(乙)土地部分の実測面積は19.76坪(62.58平方メートル)、(以上の合計573.38坪)であり、右各土地部分を合わせたものが本件(二)の土地であると仮定して試算比較してみると、同土地の実測面積(右のとおり合計573.38坪)は公簿上の地積(四〇四坪)より約一八八坪余りも大きくなるが、しかし、前記(二)のとおり本件(二)の土地交換は現地において関係者立会のうえ指示してなされたものであること、前記(三)のとおり本件(二)の土地の図面が作成されていることおよび前記(四)の本件係争部分の占有の経緯および状態に照らすと、本件(二)の土地が公簿上の地積四〇四坪とされているのは、新垣孝仁の所有権申告の際に派生した誤りによるものという外はなく、しかも、前記新垣孝仁との間の交換にかかるもと被告所有の前記五筆の議名の土地の地積とは概ね等しく、特に両土地の地価に差がなければ本件係争(甲)、(乙)両土地部分を本件(二)の土地に含まさせても不当でないこと、

なお、新垣孝仁は、前記(一)記載のとおり七四番の三の土地を七筆に分筆する際、それに先き立ち、一九五九年一〇月二一日、当時の沖縄土地事務所に対し、同土地の西側に隣接所在する本件(一)の土地の現実の面積が前記分筆の結果(一三四坪)どおり存在することを前提し、一部の隣接土地所有者の同意を得て前記分筆の結果どおりの内容で地積の誤謬訂正ならびに異動申告をなし、その受理をえて分筆したが、右分筆に最も利害の対立する立場にある被告安里の同意を得られなかつたこと、

以上認定の事実によると、原告大城所有の本件(一)の土地と被告安里所有の本件(二)の土地との境界は、別紙図面のツ、(ム)の両点を直線で結んだ線であると判断せざるをえない。

第二(第二九号事件について)

一まず、被告外間は、原告安里所有の本件(二)の土地と同被告所有の本件(三)の両土地は互いに相隣接しないもので、右両土地の間の境界確定を求める原告の本件訴えは不適法であるから却下されるべきである旨主張するが、右両土地には相隣接する部分が存在することは後に述べるとおりであるから、被告の右主張は失当である。

二請求原因(一)記載の事実は当事者間に争いがない。

三そこで、原告所有の本件(二)の土地と被告所有の本件(三)の土地の境界について判断するに、もと新垣孝仁所有の旧七四番の土地は、まず、別紙図面のツ、(ム)、の各点を順次結んだ直線により本件(二)の土地と分筆後の旧七四番の土地(五一六坪)とに分筆されたものであり、また本件(三)の土地は右分筆後の旧七四番の土地が二回にわたり現在の七四番、同番の二(本件(一)の土地)、同番の三(381.61坪)とに分筆された後、一九五九年一一月七日、右七四番の三の土地から分筆されてできたものであることは前記第一の二の(一)で認定したとおりであり、なお前掲第一の二掲記の各証拠および同記載の認定事実によると、本件(三)の土地は、その北側を別紙図面の(ム)、(ラ)の両点を結ぶ直線で本件(一)の土地と隣接し、その西側を同図面の(ム)、の両点を結ぶ直線で本件(二)の土地と隣接していることを認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

以上認定の事実によると、原告安里所有の本件(二)の土地と被告外間所有の本件(三)の土地との境界は別紙図面の(ム)、を結ぶ直線といわざるをえない。

第三(第一八七号事件について)

一請求原因(一)、(三)記載の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、本件係争(甲)、(乙)両土地部分が原告所有の本件(二)の土地の一部に含まれるかどうかについて判断するに、前掲第一、および第二の認定事実によると、本件(二)の土地はその東側を、別紙図面のツ、(ム)を結ぶ直線で被告大城所有の本件(一)の土地と、同図面の(ム)、の両点を結ぶ直線で被告外間所有の本件(三)の土地と各境界を接しており、本件(二)の土地の範囲は別紙図面のイ、ロ、ハ、ニホ、、ト、チ、リ、ヌ、ル、ヲ、ワ、カ、ヨ、x、タ、x'、レ、ソ、ツ、(ム)、、、ウ、イの各点を順次結んだ直線内の部分全部であることを認めることができ、右認定を覆するに足りる証拠はないが、右事実によると、本件係争(甲)、(乙)両土地部分はいずれも原告所有の本件(二)の土地の一部に含まれるといわざるをえない。

第四(結語)

叙上の次第であるから、第一四三号事件について本件(一)、(二)両土地の境界が主文一のとおりであることを確定し、第二九号事件について本件(二)、(三)両土地の境界が主文二のとおりであることを確定し、第一八七号事件について原告安里の本訴請求をいずれも正当としてこれを認容することとし、以上全事件の訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(山口和男 長嶺信栄 榎本克巳)

物件目録

(一) 那覇市字寄宮寄増原七四番の二

畑四四二平方メートル

(二) 同市同字寄増原七四番の一

畑一三三五平方メートル

(三) 同市同字寄増原七四番の八

宅地338.84平方メートル

地積測量図<省略>

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